利根川 幸紀(とねがわ ゆきのり)とは、ツクヴァ帝国末期の軍人・政治家である。
人種:トキオ人・ツクヴァ人(混血)
ツクヴァ海軍大尉→ツクヴァ海軍中佐→ツクヴァ河川軍元帥→オーエド兵団総統
父:荒川 清勝(あらかわ きよまさ)?(トキオ海軍での名前は墨田川 千登瀬(すみだがわ ちとせ)?) 母:利根川 絹(とねがわ きぬ)?
特徴:オッドアイ(左目が茶色、右目が紫色)
人種:トキオ人・ツクヴァ人(混血)
ツクヴァ海軍大尉→ツクヴァ海軍中佐→ツクヴァ河川軍元帥→オーエド兵団総統
父:荒川 清勝(あらかわ きよまさ)?(トキオ海軍での名前は墨田川 千登瀬(すみだがわ ちとせ)?) 母:利根川 絹(とねがわ きぬ)?
特徴:オッドアイ(左目が茶色、右目が紫色)
年 | 年齢 | 出来事 |
560 | 0 | 井原木県森屋市にて誕生 |
569 | 9 | トキオ人の父・荒川清勝がトキオ海軍河川隊に入隊 |
570 | 10 | ツクヴァ海軍士官学校第二課に入学 |
580 | 20 | (4月)修上院を卒業、ツクヴァ海軍川凪師団に入隊(大尉) |
〃 | 〃 | (10月)利根川率いる中隊が第一次絹川戦争へ出兵 |
583 | 23 | ツクヴァ河川軍創設、利根川が初代元帥に就任 |
585 | 25 | 第二次絹川戦争開戦、利根川が前線指揮官に着任 |
586 | 26 | 第二次絹川戦争に勝利 |
589 | 29 | 第二次筑東戦争開戦、利根川が前線指揮官に着任 |
591 | 31 | 鬼多戦呪の戦いにて父・荒川と対峙(当時は互いの存在を認識せず) |
595 | 35 | 利根川率いるツクヴァ河川軍がトキオ連邦首都の血夜堕を占領 |
598 | 38 | 休戦会談に出席、トキオ側として出席した父と邂逅 |
599 | 39 | ツクヴァ帝国に反乱、トキオ連邦との独自交渉を開始 |
600 | 40 | ツクヴァ河川軍がツクヴァ帝国府を占領 |
609 | 49 | 旧ツクヴァ河川軍をオーエド兵団に改称 |
610 | 50 | 裏屋須条約に調印、第二次筑東戦争終戦 |
-遠からず、トキオとツクヴァの戦争が始まるだろう。私に出来ることは、それが遅れることを願うだけだった-(荒川清勝、回顧録より)
560年、井原木県森屋市に生まれる。
569年、トキオ人の父・荒川清勝がトキオにいる父(利根川の祖父)に呼ばれたとして、妻と息子を残してトキオに移住した。当時トキオ連邦は不二川戦争で戦争における河川の重要性を痛感したばかりで、河川の知識が豊富な人材を集めていた。清勝はツクヴァの貿易商でありながらツクヴァ海軍の操船教官だったので、トキオ海軍の祖父に見込まれトキオ軍への招集がかかったのである。当時筑東関係は悪くなかったが、後にツクヴァ帝国とトキオ連邦の戦争が起きるだろうと確信した清勝は詳しいことを話さず、ただ「父に呼ばれた」とだけ言い残しツクヴァを後にした。また、幸紀は当時父がトキオ人ということを知らなかった。しかし幸紀は父との再会を願い、各地へ遠征する機会が多い海軍への入隊を決意する。
560年、井原木県森屋市に生まれる。
569年、トキオ人の父・荒川清勝がトキオにいる父(利根川の祖父)に呼ばれたとして、妻と息子を残してトキオに移住した。当時トキオ連邦は不二川戦争で戦争における河川の重要性を痛感したばかりで、河川の知識が豊富な人材を集めていた。清勝はツクヴァの貿易商でありながらツクヴァ海軍の操船教官だったので、トキオ海軍の祖父に見込まれトキオ軍への招集がかかったのである。当時筑東関係は悪くなかったが、後にツクヴァ帝国とトキオ連邦の戦争が起きるだろうと確信した清勝は詳しいことを話さず、ただ「父に呼ばれた」とだけ言い残しツクヴァを後にした。また、幸紀は当時父がトキオ人ということを知らなかった。しかし幸紀は父との再会を願い、各地へ遠征する機会が多い海軍への入隊を決意する。
-諸君、我らツクヴァ帝国は新たな時代を迎える。その時代の中心にいることを、共に祝おうじゃないか-(利根川幸紀、河川軍創設式の演説より)
570年、幸紀はツクヴァ海軍士官学校第二課に2年飛び級で入学した。さらに第二課でも二度の飛び級を果たし、通常より4年早い20歳で修上院を卒業した。卒業後彼は川凪師団(川凪湾(トキオ湾のツクヴァ名)の警備を行う師団)に大尉として入隊、楢篠軍港を拠点に警備と訓練を行っていた。
しかし同年10月、幸紀に大きな知らせが舞い込んでくる。8月にツクヴァ帝国とグンマー帝国との間で始まった第一次絹川戦争でツクヴァ軍が押されており、彼が率いる中隊に召集がかかった。と言うのも、絹川の下流側に陣を構え、さらに河川を利用した戦いに慣れていなかったツクヴァ軍はグンマー帝国の攻撃に抗えず、河川についての知識に長けた指揮官を求めていた。そうして第一次絹川戦争に出兵した幸紀は小さい部隊ながらも各地で勝利を収めたものの、開戦時は中隊長、終戦時でも一聯隊長だった彼の力では戦況を変えることができず、結局第一次絹川戦争はグンマー帝国の勝利に終わった。
これにより戦争における河川の重要性を思い知らされたツクヴァ帝国は、ツクヴァ河川軍の創設を決定、さらに第一次衣川戦争で善戦した幸紀に白羽の矢が立ち、弱冠23歳にして初代元帥に任命された。幸紀は陸海両軍、さらには海巡庁などからも人を集め、未曽有の強さを誇るツクヴァ河川軍を結成した。
(※河川軍とは河川の警備を担当する軍隊ではなく、河川や沿岸部を利用した作戦を担当する軍隊である。)
その力を見せる時はすぐに訪れた。585年、第二次絹川戦争(絹川・途寝川戦争)が勃発した。たった5年前のツクヴァ軍とは明らかに様子が違う。下流側という短所がありながら河川を巧みに利用し、各地で勝利を収めた。さらにツクヴァ河川軍は土地義県だけでなく、途寝川中流のグンマー帝国領まで征服した。さらにこの戦争でグンマー帝国が敗北したことにより、グンマー帝国では内戦まで始まってしまった。かつてツクヴァ帝国を打ち破った東部平原の要石は、もはや力尽きてしまった。
570年、幸紀はツクヴァ海軍士官学校第二課に2年飛び級で入学した。さらに第二課でも二度の飛び級を果たし、通常より4年早い20歳で修上院を卒業した。卒業後彼は川凪師団(川凪湾(トキオ湾のツクヴァ名)の警備を行う師団)に大尉として入隊、楢篠軍港を拠点に警備と訓練を行っていた。
しかし同年10月、幸紀に大きな知らせが舞い込んでくる。8月にツクヴァ帝国とグンマー帝国との間で始まった第一次絹川戦争でツクヴァ軍が押されており、彼が率いる中隊に召集がかかった。と言うのも、絹川の下流側に陣を構え、さらに河川を利用した戦いに慣れていなかったツクヴァ軍はグンマー帝国の攻撃に抗えず、河川についての知識に長けた指揮官を求めていた。そうして第一次絹川戦争に出兵した幸紀は小さい部隊ながらも各地で勝利を収めたものの、開戦時は中隊長、終戦時でも一聯隊長だった彼の力では戦況を変えることができず、結局第一次絹川戦争はグンマー帝国の勝利に終わった。
これにより戦争における河川の重要性を思い知らされたツクヴァ帝国は、ツクヴァ河川軍の創設を決定、さらに第一次衣川戦争で善戦した幸紀に白羽の矢が立ち、弱冠23歳にして初代元帥に任命された。幸紀は陸海両軍、さらには海巡庁などからも人を集め、未曽有の強さを誇るツクヴァ河川軍を結成した。
(※河川軍とは河川の警備を担当する軍隊ではなく、河川や沿岸部を利用した作戦を担当する軍隊である。)
その力を見せる時はすぐに訪れた。585年、第二次絹川戦争(絹川・途寝川戦争)が勃発した。たった5年前のツクヴァ軍とは明らかに様子が違う。下流側という短所がありながら河川を巧みに利用し、各地で勝利を収めた。さらにツクヴァ河川軍は土地義県だけでなく、途寝川中流のグンマー帝国領まで征服した。さらにこの戦争でグンマー帝国が敗北したことにより、グンマー帝国では内戦まで始まってしまった。かつてツクヴァ帝国を打ち破った東部平原の要石は、もはや力尽きてしまった。
-我ら最大の敵と戦う時が来た。この戦いは、遠い未来のことと聞いていたのに-(利根川幸紀、回顧録より)
途寝川上流の脅威がなくなったツクヴァ帝国にとって、残る敵はトキオ連邦のみとなった。そして589年、勝利を確信したツクヴァ皇帝はトキオ連邦への侵攻を命じた。第二次筑東戦争である。トキオ側も不二川戦争で河川の重要性をツクヴァより早く認識していたとはいえ、陸海軍と並んだ組織、さらに第二次絹川戦争を経験したばかりのツクヴァ河川軍は圧倒的に強く、595年、ついにトキオ連邦首都の血夜堕を占領した。
しかしこの直後、思わぬ事態が発生する。596年、ニコ州総督の徳川 照(とくがわ てる)が反乱を起こした。もともと彼は非イヴァラキア系のシモツキア人であり、先祖の徳川 陽(とくがわ よう)は反乱軍としてツクヴァ帝国と戦ったことがあった。グンマー帝国を共通の敵としてツクヴァ帝国に協力していた彼だが、かさむ戦費に耐えきれなくなり、ついに反乱を起こしたのである。
さらに、反乱はこれだけでは終わらなかった。ニコ州での反乱を契機に各地で反乱が発生、そのたびに派兵を余儀なくされたツクヴァ軍は、トキオ連邦へ送る戦力を削らなくてはならなくなった。河川軍からの派兵は少なかったものの、共闘する陸海軍、さらに補給物資も減り、戦線がほぼ膠着状態となってしまった。
途寝川上流の脅威がなくなったツクヴァ帝国にとって、残る敵はトキオ連邦のみとなった。そして589年、勝利を確信したツクヴァ皇帝はトキオ連邦への侵攻を命じた。第二次筑東戦争である。トキオ側も不二川戦争で河川の重要性をツクヴァより早く認識していたとはいえ、陸海軍と並んだ組織、さらに第二次絹川戦争を経験したばかりのツクヴァ河川軍は圧倒的に強く、595年、ついにトキオ連邦首都の血夜堕を占領した。
しかしこの直後、思わぬ事態が発生する。596年、ニコ州総督の徳川 照(とくがわ てる)が反乱を起こした。もともと彼は非イヴァラキア系のシモツキア人であり、先祖の徳川 陽(とくがわ よう)は反乱軍としてツクヴァ帝国と戦ったことがあった。グンマー帝国を共通の敵としてツクヴァ帝国に協力していた彼だが、かさむ戦費に耐えきれなくなり、ついに反乱を起こしたのである。
さらに、反乱はこれだけでは終わらなかった。ニコ州での反乱を契機に各地で反乱が発生、そのたびに派兵を余儀なくされたツクヴァ軍は、トキオ連邦へ送る戦力を削らなくてはならなくなった。河川軍からの派兵は少なかったものの、共闘する陸海軍、さらに補給物資も減り、戦線がほぼ膠着状態となってしまった。
-もしもあなたに会わなければ、今も私は己の血を傷つけていたのだろうか-(利根川幸紀、回顧録より)
仕方なくツクヴァ帝国は、トキオ連邦との休戦会議を開いた。トキオ征服は不可能だと悟りながら、少しでも多くの土地を手に入れようと目論んだのである。数人の外交官・通訳とともに、ツクヴァ側からは軍部全権として幸紀が出席、そしてトキオ側からは海軍河川隊総司令官の墨田川 千登瀬(すみだがわ ちとせ)が出席した。
そして、第一回会議の後、幸紀は衝撃的な事実を知ることになる。
〜会議終了後〜
千登瀬「利根川元帥、少し話したいことがあるのですが」
幸紀「いかがしましたか?」
千登瀬「出来れば、他の高官には聞かれたくないのです」
幸紀「…承知しました。(他のツクヴァ高官に向かって)先に戻っていてくれ、私は後から向かう。」
数人の衛兵を残し、他の高官は部屋を後にした。
幸紀「それで、話したい内容とは?」
千登瀬「実はずっと前から伝えようと思っていたことが、元帥…いや、幸紀。」
幸紀「…?どうして突然下の名前で?」
千登瀬「あなたがまだ9歳のころ、あなたの父は家を後にしただろう。」
幸紀「…!?どうしてそれを知って…」
千登瀬「あなたの父はトキオ人だ。家を後にして、トキオの地へ帰った。
だから家を去るとき、行き先を伝えなかったんだ。」
幸紀「父上が…トキオ人だった!?そんな…
…いや待て、何故お前はそれほどまでに私の素性を知っているんだ?」
千登瀬「家を去ってから、お前の父はトキオ海軍に入った。この戦争にも参加した。」
幸紀「それなら、父上は今どこに…まさか…我が軍が殺したというのか!?」
千登瀬「違う!お前の父は…『私』だ!」
幸紀「嘘だ…嘘だ…そんなの嘘だ…そんなことあるもんか!」
千登瀬「
仕方なくツクヴァ帝国は、トキオ連邦との休戦会議を開いた。トキオ征服は不可能だと悟りながら、少しでも多くの土地を手に入れようと目論んだのである。数人の外交官・通訳とともに、ツクヴァ側からは軍部全権として幸紀が出席、そしてトキオ側からは海軍河川隊総司令官の墨田川 千登瀬(すみだがわ ちとせ)が出席した。
そして、第一回会議の後、幸紀は衝撃的な事実を知ることになる。
〜会議終了後〜
千登瀬「利根川元帥、少し話したいことがあるのですが」
幸紀「いかがしましたか?」
千登瀬「出来れば、他の高官には聞かれたくないのです」
幸紀「…承知しました。(他のツクヴァ高官に向かって)先に戻っていてくれ、私は後から向かう。」
数人の衛兵を残し、他の高官は部屋を後にした。
幸紀「それで、話したい内容とは?」
千登瀬「実はずっと前から伝えようと思っていたことが、元帥…いや、幸紀。」
幸紀「…?どうして突然下の名前で?」
千登瀬「あなたがまだ9歳のころ、あなたの父は家を後にしただろう。」
幸紀「…!?どうしてそれを知って…」
千登瀬「あなたの父はトキオ人だ。家を後にして、トキオの地へ帰った。
だから家を去るとき、行き先を伝えなかったんだ。」
幸紀「父上が…トキオ人だった!?そんな…
…いや待て、何故お前はそれほどまでに私の素性を知っているんだ?」
千登瀬「家を去ってから、お前の父はトキオ海軍に入った。この戦争にも参加した。」
幸紀「それなら、父上は今どこに…まさか…我が軍が殺したというのか!?」
千登瀬「違う!お前の父は…『私』だ!」
幸紀「嘘だ…嘘だ…そんなの嘘だ…そんなことあるもんか!」
千登瀬「
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