初めまして、創造神です。このページでは、私が作成している架空世界を紹介しています。

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不破 盾(ふわ じゅん)とは、ヒメジア帝国の将校およびセキガハリア国の将軍である。

人種:イヴィ人アケーシャ人(混血)
父:不破 定治(ふわ さだはる)? 母:島本 圭(しまもと けい)?
ヒメジア海軍師団長(少将)→(商人)→セキガハリア国初代将軍
年齢出来事
3670標語県証(あかし)市にて誕生
39124ヒメジア南北戦争勃発、北軍(ヒメジア政府軍)側で参戦
39225ヒメジア海軍師団長に就任
39528証奪還作戦実行、奪還に成功するも彼自身は捕虜として抑留
多坂条約調印、南ヒメジア帝国が独立
ダイコー監獄脱出、商人に紛れての生活を開始
39932死餓県へ移住
40639義父県へ移住、深志伊吹(後のセキガハリア国初代総統)と出会う
41750深志と共にセキガハリア国建国、同時に死餓県へ侵攻
麻茨市を占領、死餓県北東部のマイヴァリスタン地方を獲得
血駆武監獄を解放
41851セキガハリアが御乙市を占領、死餓県全土を獲得し終戦


両親の出会い、そして別れ

-盾、お前は私の誇りだ。お前が逞しく育つことを、私は死にながら夢見る-(不破定治、獄中での日記より)
 不破の父、不破定治はイヴィ地方の英雄の末裔で、イヴィ国の武将だった。しかし、ビワ族との軍事衝突の最中、ビワ族に捕えられ血駆武監獄に抑留されてしまう。同じ頃豪商の娘だった不破の母、島本圭は、貿易の為にヒメジア・ビワ国境付近にいた際、ヒメジアとビワの軍事衝突によって同じく血駆武監獄に抑留されていた。獄中で圭に出会った定治は、圭を故郷へ返す決心をする。二人は監獄を脱出し、島本圭の故郷である証を目指した。不破盾はその道中で圭が身籠った子である。
 しかしヒメジア・ビワ国境を渡る際、二人はビワ軍に見つかってしまう。その際定治は圭だけでも国境を越えられるように、圭を抱えて山を登った。圭は無事に国境を越えヒメジア軍に保護されたが、定治自身はビワ軍に拘束され再び監獄に戻されてしまう。その後圭はヒメジア軍の保護のもと故郷である証へ帰り、不破盾を生んだ。

幼少期

-私が何者かなんて知らない。知っていることといえば、御国に仇成す者を倒すことだけだ-(不破盾、回顧録より)
 367年、標語県証市に生まれる。前述の理由より不破父は不破誕生前に離別したため、彼は父の顔を見たことがない。また父が不破母に素性をほとんど語らなかったため、父の話もほとんど聞いたことがなかった(ただし父の名字が不破だったことは聞かされていた)。
 9歳の頃にヒメジアの少年兵に志願し、13歳にしてヒメジア軍の将校になった。彼は戦略において類い稀な才能を発揮し、ヒメジア軍の中で頭角を現していった。

ヒメジア南北戦争

-部下は私を讃えた。その度に、私は己の無力さを噛み締めた-(不破盾、回顧録より)
 そんな彼に転機が訪れたのは、391年に始まったヒメジア南北戦争である。3世紀の初め頃に競徒府から移住してきたヨド人が、阿和字島に住むアウェーズ人と手を組んでヒメジア帝国に対し反乱を起こした。ヒメジア海軍の将校だった彼は政府軍として参戦し、開戦の翌年には弱冠25歳にして師団長に就任。不破の軍は彼の高い戦略性により各地で勝利を収めたものの、ヒメジア帝国全体でみれば敗戦が続き、帝国南部を南軍によって占領されていった。

アケーシャ奪還、されど祖国へ帰れず

-総員、私のことは見捨てなさい。それよりも、何としてでも証を奪還するんだ-(不破盾、捕縛時に部下に放った言葉)
 そして遂に、彼の運命を大きく動かす戦いが勃発する。阿和字島を占領した南軍が、不破の故郷である証市へ侵攻したのである。すでに疲弊していたヒメジア帝国軍は証への侵攻を黙認しようとさえしていたが、不破は元帥の指令を待たずに応戦、南軍の撤退へとこぎつけた。しかし南軍が撤退する直前、不破は何軍に捕らえられてしまう。彼が事前に部下へ作戦を知らせていたために南軍の撤退は成功できたが、ついに彼はヒメジア帝国への帰国が叶わなかった。
 そして、獄中で彼は自分の先祖が義父県西部に住むイヴィ人だったということを知る。彼は捕虜の中でも特に位の高い人物であったため、敵国の軍人であるとはいえ南ヒメジア側も彼を邪険に扱うことは出来なかった。そのため彼の独房には多くの書物などがあり、その中にあった歴史書に彼の先祖の話が書かれてあった。それを知った彼は、かつて父が暮らした席ヶ波羅を目指すことにした。

脱獄、そして商人としての生活

-目指すその地は、私が生まれる前に立ち去った故郷だ-(不破盾、回顧録より)
 そのためにはまず、彼が投獄されているダイコー監獄から脱出する必要があった。ダイコー監獄には北ヒメジア系の看守もいたが、396年に南ヒメジア系の看守が彼らを追い出そうとして抗争が発生した(ダイコー南北抗争)。彼はこの混乱の合間に監獄から脱出、近くの川にいた商人の集団に紛れた。
 こうして商人としての生活を始めた彼が第一の目標として掲げたのが、南ヒメジア帝国からの脱出だった。かつてヒメジア政府軍として戦った彼が、いつ正体を知られるかわからない。そして彼はまず南ヒメジアと席ヶ波羅の間にある死餓県へ渡ることにした。そして彼の軍人時代の癖なのか、商人としての仕事の合間に、外部から死餓県へ侵攻する方法とそれに対する防衛方法を模索していた。彼は海軍に所属していたが、陸軍将校としての能力も高かった(というより当時のヒメジア軍で陸軍または海軍専属の軍人はほとんどいなかった)。

義父県へ到達、そして運命の出会いへ

-敵国に捕虜としてとらえられていた英雄が、世代を超えてようやく帰還した-(イヴィ地方歴史書より)
 遂に406年、彼は義父県席ヶ波羅町へ到達した。さらにこの年、彼は席ヶ波羅町の支配権を持っていた深志 伊吹(ふかし いぶき)?と出会うことになる。深志は戦争によって祖国を追われたマツモティア王家の末裔で、王国の再興を望んでいた。再び軍人として活躍したいと願っていた不破は深志と意気投合し、イヴィ川流域を領土に持つセキガハリア国の建国を目指した。
 英雄一族の帰還にイヴィ人は狂喜乱舞し、皆そろって不破を支持した(イヴィ神話に記された律法により不破家は元首になれなかったため、深志を元首においたうえで不破自身は将軍となった)。こうして今までにない最強国家、セキガハリア国が誕生した。

セキガハリア建国と死餓県征服、そして父との邂逅

--(不破盾、  より)
 こうして建国したセキガハリアが最初にとった行動は、死餓県の征服だった。当時死餓県に住んでいたビワ族は周辺国から恐れられていたが、セキガハリアを建国した当時はかなり衰退していた。また不和が死餓県に住んでいた頃に考えていた戦略のおかげで、死餓県の征服は容易だと判断した。当初深志は死餓県の征服には10〜20年ほどかかると考えていたが、不破はなんとたった1年で征服してしまった。この征服劇は周辺諸国に大きな影響を与えることとなり、例えば419年には異世湾岸諸国がイセワニア連合を結成、さらに425年にはスワー帝国がミノー連合を設立した。一方南ヒメジア帝国ではヨド人の故郷回復運動が起こり(畿丹戦争)、競徒ビワ族は滅亡してしまった(死餓県に残ったビワ族の一部は生き残っている)。

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